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自衛隊とほふく前進と私
2019-10-02スタッフブログ
こんにちは溝の口店の八島です。
私は高校卒業後 宮城県の仙台駐屯地 自衛隊に入隊しました、6ヶ月間の教育期間がありその後、部隊に配属になります。6ヶ月間の教育期間は地獄の期間でした、教育期間は自衛官の基礎知識 体力を身に付ける期間で1番厳しい訓練は、1キロの鉄のヘルメットをかぶり4キロの小銃を持ち約5キロのバックを背負い、25kmの距離を歩き走りそしてほふく前進すると言う地獄の訓練でした。
私は高校では陸上部でしたので体力には自信がありましたが甘かったです。ちなみに宮城県の県大会に短距離に出ました、自衛隊の訓練は体力だけじゃなく精神面も厳しかったです。80名いた隊員が3ヶ月目には6人くらい居なくなり6ヶ月の教育期間が終わるときは10人以上辞めてました。
教育期間が終わり私は特化部隊に配属になりました、大砲を撃つ部隊で155ミリ榴弾砲と言う大砲で約20キロ飛びます、弾の撃つ方向 距離を測量指揮する仕事をしてました。20キロ飛ぶため角度が1ミリ違うととんでもない方向に飛び空中で爆発し民家に当たったと言う話もありました。
夏には七夕祭りがあり動く七夕と言うパレードがあり自衛官が借りだされ笹を持って踊ってました。歌謡賞がありジュディオングさんが魅せられてを歌い 売れる前の松田聖子さんがジュディオングさんの前座で歌ってました。又 千葉真一主演の戦国自衛隊という映画の撮影に王城寺が原演習場に訓練、撮影の為に来た事もあります。
昭和54年、宮城沖地震があり4階立てのビルが崩壊する災害が起こり災害派遣、給水支援に借りだされた事もありました。毎月の野営訓練、柔剣道の訓練もあり腰痛になり20歳くらいから指圧、針灸の治療をうけて軽くなりましたが訓練すると腰痛が悪化しヘルニアになり手術をしてしまいました。その後、退職し暫らく休んでましたが何かしようと考え指圧で軽くなった事を思い出し、浪越徳次郎の指圧専門学校に入り現在に至った訳です。
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