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史跡訪問 大森貝塚
2021-03-26スタッフブログ
今回は史跡のご紹介です。JR大森駅から大井町駅方面に向かって縄文時代の生活跡があり大森貝塚として知られています。
私は生まれ育った地元なので小学校での教育でも見学に行って身近な遺産です。
ざっくり説明すると、1877年(明治10年)アメリカ人のエドワード・S・モースという動物学者が横浜から新橋へ汽車で向かう途中、大森駅を過ぎてから直ぐの線路脇の崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から目撃、何だアレは?と言う事で発掘したら貝の他に土器、土偶、骨器、石器、装飾品を発見した次第らしいです。
割に簡単で分かりやすい発見だったんですね。地元の人達はビックリしたでしょうね。昔から沢山の貝が捨ててある崖と思った見慣れた風景が、後に国の重要文化財になるとは。時代にして約3500年前から放ったらかしだったのですね。
私も小学生の頃に遠足で行った河原で鮫の歯の化石を拾った事がありました。黒く矢じりのように尖がっていて、明らかに他の石とは違ったので大発見と思い友達と浮かれて引率の先生に見せたところ「この辺の化石は時代が浅いからあまり価値はないよ」と言われました。
ガッカリしつつそれでも図書室で調べると何百万年前の物だった分かり、暫くは保管していたと思います。それに比べると人類の歴史は遥かに浅いですが、前回のエジプト展でもそうですが当時の人工物が未来の人類によって光を見るのは本当にそそられます。発見は偶然もありますが、知識と興味が導くものなんですね。
ところで、この貝塚の碑はかつてこんなふうに残っていました。
「大森貝塚」(品川区)と「大森貝墟」(大田区)この碑は両区の境界に建っていました。大田区側が墟となっていますが、今回訪れると品川区側の碑も下の画像のように「大森貝墟」になっていました。
この近く品川区側に大森貝塚遺跡庭園があり、そこが本来の発掘場所だというのが有力らしいですが。大田区の郷土博物館では今でも大森貝塚の紹介がされているので、決着がついているのか定かではないです。どちらも墟にする事で着いたのでしょうか?一体何があったのでしょうか?
そもそもモース氏が最初に掘った場所を明確に記録していなかったので、後に論争になり、品川区と大田区がそれぞれ別に記念碑を建てたそうなんですが。詰めが甘かったですね。
JRの線路を挟んで石碑の向こう側には水神公園があります。線路沿いに長く伸びていてそれに沿って桜が満開でした。
当店の近所の目黒川沿いも見頃を迎えています、桜を鑑賞して心が癒やされたら、LUXAS五反田西口でお身体も癒やしてみて下さい(^o^)
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